自分を愛するとは
そもそも自分とはなんなんでしょうかね。
肉の中にある骨の中の、さらにそのなかに詰まっているシワシワの塊が、自分なんでしょうかね。
考えてみれば気持ちの悪い話です。
それを、愛するとは。よく知りませんが、伝達回路のビリビリがどうとかこうとかみたいな、アレが刺激されたり繋がらなかったり、記憶とかそういうのが、自分なんですかね。
アダルトチルドレンはインナーチャイルドを癒すとか、なんかそういうのがある、らしいです。
心の傷ってなんなんですかね。ただの過去の不快や理不尽に名前をつけて可哀想によしよし、とかすればいいんですかね。馬鹿らしい。
それほど不幸だと感じた事はないし、かといって幸福だと思った事はなく、そもそも昔から記憶はあってもそれが物理的に痛かったとかでなければ、事実そのものであって、それを上書き保存したところで何が解決するのでしょうか。
劇的ビフォーアフター、観た事ありますか。
あれ、更地にしてからもう一度建て直した方が遥かに安上がりなのですが、建築基準法の関係で現状と同じ大きさの建物が作れないとか色々あるし、人間というのもそんなものだと思っています。
人間は作り変えられない。リカバリするしかない。
生まれた所や、親や親戚、周りの人、その他色々などというもので囲まれて予め、「個人の面積=殻」というのがあるのではないかと思うのです。
抜け出る事も出来るけれども、それには周囲を殺してでも突き破るような力が必要で、殻を破れない雛はその中で腐って死ぬのです。
死んでしまうのです。
殻を破れなかった側の人間としては、知識と技術を身につけましょうとしかいえません。
親という殻が二つ壊れたら、焼いて土に埋め、己の始末をしなければならないという地獄が待っています。
無縁墓地でお逢いしましょう。またこんど。